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鸭长明《方丈记》原文

鸭长明《方丈记》原文

巴图隆阿巴图鲁 2009-11-14 02:04:45
行く川のながれは绝えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ结びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を经て尽きせぬものなれど、これをまことかと寻ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ见し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、谁が为に心を恼まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、无常をあらそひ去るさま、いはゞ朝颜の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる间に、世のふしぎを见ることやゝたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、风烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の时ばかり、都のたつみより火出で来りていぬゐに至る。はてには朱雀门、大极殿、大学寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、尘灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で来けるとなむ。吹きまよふ风にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。远き家は烟にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、风に堪へず吹き切られたるほのほ、飞ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心ならむや。あるひは烟にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、资财を取り出づるに及ばず。七珍万寳、さながら灰烬となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六烧けたり。ましてその外は数を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。男女死ぬるもの数千人、马牛のたぐひ边际を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて宝をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。』また治承四年卯月廿九日のころ、中の御门京极のほどより、大なるつじかぜ起りて、六条わたりまで、いかめしく吹きけること侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり残れるもあり。又门の上を吹き放ちて、四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、数をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の叶の风に乱るゝがごとし。尘を烟のごとく吹き立てたれば、すべて目も见えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ声も闻えず。かの地狱の业风なりとも、かばかりにとぞ觉ゆる。家の损亡するのみならず、これをとり缮ふ间に、身をそこなひて、かたはづけるもの数を知らず。この风ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせり。つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず。さるべき物のさとしかなとぞ疑ひ侍りし。』又おなじ年の六月の顷、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事なり。大かたこの京のはじめを闻けば、嵯峨の天皇の御时、都とさだまりにけるより後、既に数百歳を经たり。异なるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人、たやすからずうれへあへるさま、ことわりにも过ぎたり。されどとかくいふかひなくて、みかどよりはじめ奉りて、大臣公卿ことごとく摄津国难波の京に(八字イ无)うつり给ひぬ。世に仕ふるほどの人、谁かひとりふるさとに残り居らむ。官位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とくうつらむとはげみあへり。时を失ひ世にあまされて、ごする所なきものは、愁へながらとまり居れり。轩を争ひし人のすまひ、日を经つゝあれ行く。家はこぼたれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、たゞ马鞍をのみ重くす。牛车を用とする人なし。西南海の所领をのみ愿ひ、东北国の庄园をば好まず。その时、おのづから事のたよりありて、津の国今の京に到れり。所のありさまを见るに、その地ほどせまくて、条里をわるにたらず。北は山にそひて高く、南は海に近くてくだれり。なみの音つねにかまびすしくて、潮风殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやと、なかなかやうかはりて、いうなるかたも侍りき。日々にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家はいづくにつくれるにかあらむ。

 

なほむなしき地は多く、作れる屋はすくなし。ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず。ありとしある人、みな浮云のおもひをなせり。元より此处に居れるものは、地を失ひてうれへ、今うつり住む人は、土木のわづらひあることをなげく。道のほとりを见れば、车に乘るべきはうまに乘り、衣冠布衣なるべきはひたゝれを着たり。都のてふりたちまちにあらたまりて、唯ひなびたる武士にことならず。これは世の乱るゝ瑞相とか闻きおけるもしるく、日を经つゝ世の中うき立ちて、人の心も治らず、民のうれへつひにむなしからざりければ、おなじ年の冬、犹この京に归り给ひにき。されどこぼちわたせりし家どもはいかになりにけるにか、ことごとく元のやうにも作らず。ほのかに传へ闻くに、いにしへのかしこき御代には、あはれみをもて国ををさめ给ふ。则ち御殿に茅をふきて轩をだにとゝのへず。烟のともしきを见给ふ时は、かぎりあるみつぎものをさへゆるされき。これ民をめぐみ、世をたすけ给ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。』又养和のころかとよ、久しくなりてたしかにも觉えず、二年が间、世の中饥渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大风、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五※〔#「谷」の「禾」に代えて「釆」、544-14〕ことごとくみのらず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋かり冬收むるぞめきはなし。これによりて、国々の民、或は地を舍てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしなし。京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、绝えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。念じわびつゝ、さまざまの寳もの、かたはしより舍つるがごとくすれども、さらに目みたつる人もなし。たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。乞食道の边におほく、うれへ悲しむ声耳にみてり。さきの年かくの如くからくして暮れぬ。明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまさへえやみうちそひて、まさるやうにあとかたなし。世の人みな饥ゑ死にければ、日を经つゝきはまり行くさま、少水の鱼のたとへに叶へり。はてには笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものどもありくかと见れば则ち毙れふしぬ。ついひぢのつら、路头に饥ゑ死ぬるたぐひは数もしらず。取り舍つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや河原などには、马车の行きちがふ道だにもなし。しづ、山がつも、力つきて、薪にさへともしくなりゆけば、たのむかたなき人は、みづから家をこぼちて市に出でゝこれを卖るに、一人がもち出でたるあたひ、犹一日が命をさゝふるにだに及ばずとぞ。あやしき事は、かゝる薪の中に、につき、しろがねこがねのはくなど所々につきて见ゆる木のわれあひまじれり。これを寻ぬればすべき方なきものゝ、古寺に至りて佛をぬすみ、堂の物の具をやぶりとりて、わりくだけるなりけり。浊恶の世にしも生れあひて、かゝる心うきわざをなむ见侍りし。』又あはれなること侍りき。さりがたき女男など持ちたるものは、その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、亲ぞさきだちて死にける。又(父イ)母が命つきて卧せるをもしらずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなどもありけり。仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆晓法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の见ゆるごとに、额に阿字を书きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。その人数を知らむとて、四五两月がほどかぞへたりければ、京の中、一条より南、九条より北、京极より西、朱雀より东、道のほとりにある头、すべて四万二千三百あまりなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、にしの京、もろもろの边地などをくはへていはゞ际限もあるべからず。いかにいはむや、诸国七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、长承のころかとよ、かゝるためしはありけると闻けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、かなしかりしことなり。』また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陆をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく驹は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍庙塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る间、尘灰立ちあがりて盛なる烟のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。
 
 


家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龙ならねば云にのぼらむこと难し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ觉え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして游び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、声もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく见はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと觉えて、いとほしくことわりかなとぞ见はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば绝えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日过ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大种の中に、水火风はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる变をなさず。むかし齐衡のころかとよ。おほなゐふりて、东大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、犹このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと见えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の叶にかけて、いひ出づる人だになし。』すべて世のありにくきこと、わが身とすみかとの、はかなくあだなるさまかくのごとし。いはむや所により、身のほどにしたがひて、心をなやますこと、あげてかぞふべからず。もしおのづから身かずならずして、权门のかたはらに居るものは深く悦ぶことあれども、大にたのしぶにあたはず。なげきある时も声をあげて泣くことなし。进退やすからず、たちゐにつけて恐れをのゝくさま、たとへば、雀の鹰の巣に近づけるがごとし。もし贫しくして富める家の隣にをるものは、朝夕すぼき姿を耻ぢてへつらひつゝ出で入る妻子、僮仆のうらやめるさまを见るにも、富める家のひとのないがしろなるけしきを闻くにも、心念々にうごきて时としてやすからず。もしせばき地に居れば、近く炎上する时、その害をのがるゝことなし。もし边地にあれば、往反わづらひ多く、盗贼の难はなれがたし。いきほひあるものは贪欲ふかく、ひとり身なるものは人にかろしめらる。宝あればおそれ多く、贫しければなげき切なり。人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩爱につかはる。世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似たり。いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし玉ゆらも心をなぐさむべき。』我が身、父の方の祖母の家をつたへて、久しく彼所に住む。そののち縁かけ、身おとろへて、しのぶかたがたしげかりしかば、つひにあととむることを得ずして、三十馀にして、更に我が心と一の庵をむすぶ。これをありしすまひになずらふるに、十分が一なり。たゞ居屋ばかりをかまへて、はかばかしくは屋を造るにおよばず。わづかについひぢをつけりといへども、门たつるたづきなし。竹を柱として、车やどりとせり。雪ふり风吹くごとに、危ふからずしもあらず。所は河原近ければ、水の难も深く、白波のおそれもさわがし。すべてあらぬ世を念じ过ぐしつゝ、心をなやませることは、三十馀年なり。その间をりをりのたがひめに、おのづから短き运をさとりぬ。すなはち五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり。もとより妻子なければ、舍てがたきよすがもなし。身に官禄あらず、何につけてか执をとゞめむ。むなしく大原山の云にふして、またいくそばくの春秋をかへぬる。』こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末叶のやどりを结べることあり。いはゞ狩人のひとよの宿をつくり、老いたるかひこのまゆをいとなむがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだもおよばず。とかくいふ程に、よはひは年々にかたぶき、すみかはをりをりにせばし。その家のありさまよのつねにも似ず、广さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。积むところわづかに二輌なり。车の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。いま日野山の奥にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、その西に阏伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿弥陀の画像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉间のひかりとす。かの帐のとびらに、普贤ならびに不动の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮笼三四合を置く。すなはち和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一张をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。

 

东にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。东の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて园とす。すなはちもろもろの药草をうゑたり。かりの庵のありさまかくのごとし。その所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をためたり。林轩近ければ、つま木を拾ふにともしからず。名を外山といふ。まさきのかづらあとをうづめり。谷しげゝれど、にしは晴れたり。观念のたよりなきにしもあらず。春は藤なみを见る、紫云のごとくして西のかたに匂ふ。夏は郭公をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。秋は日ぐらしの声耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと闻ゆ。冬は雪をあはれむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべし。もしねんぶつものうく、どきやうまめならざる时は、みづから休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、また耻づべき友もなし。殊更に无言をせざれども、ひとり居ればくごふををさめつべし。必ず禁戒をまもるとしもなけれども、境界なければ何につけてか破らむ。もしあとの白波に身をよするあしたには、冈のやに行きかふ船をながめて、满沙弥が风情をぬすみ、もし桂の风、叶をならすゆふべには、浔阳の江をおもひやりて、源都督(经信)のながれをならふ。もしあまりの兴あれば、しばしば松のひゞきに秋风の乐をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。艺はこれつたなけれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ、ひとり咏じて、みづから心を养ふばかりなり。』また麓に、一つの柴の庵あり。すなはちこの山もりが居る所なり。かしこに小童あり、时々来りてあひとぶらふ。もしつれづれなる时は、これを友としてあそびありく。かれは十六歳、われは六十、その龄ことの外なれど、心を慰むることはこれおなじ。あるはつばなをぬき、いはなしをとる(りイ)。またぬかごをもり、芹をつむ。或はすそわの田井に至りて、おちほを拾ひてほぐみをつくる。もし日うらゝかなれば、岭によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み。木幡山、伏见の里、鸟羽、羽束师を见る。胜地はぬしなければ、心を慰むるにさはりなし。あゆみわづらひなく、志远くいたる时は、これより峯つゞき炭山を越え、笠取を过ぎて、岩间にまうで、或は石山ををがむ。もしは粟津の原を分けて、蝉丸翁が迹をとぶらひ、田上川をわたりて、猿丸大夫が墓をたづぬ。归るさには、をりにつけつゝ樱をかり、红叶をもとめ、わらびを折り、木の实を拾ひて、かつは佛に奉りかつは家づとにす。もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び、猿の声に袖をうるほす。くさむらの萤は、远く眞木の岛の篝火にまがひ、晓の雨は、おのづから木の叶吹くあらしに似たり。山鸟のほろほろと鸣くを闻きても、父か母かとうたがひ、みねのかせきの近くなれたるにつけても、世にとほざかる程を知る。或は埋火をかきおこして、老の寐觉の友とす。おそろしき山ならねど、ふくろふの声をあはれむにつけても、山中の景气、折につけてつくることなし。いはむや深く思ひ、深く知れらむ人のためには、これにしもかぎるべからず。大かた此所に住みそめし时は、あからさまとおもひしかど、今ま(すイ)でに五とせを经たり。假の庵もやゝふる屋となりて、轩にはくちばふかく、土居に苔むせり。おのづから事のたよりに都を闻けば、この山にこもり居て後、やごとなき人の、かくれ给へるもあまた闻ゆ。ましてその数ならぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞかりの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜卧す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。がうなはちひさき贝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒矶に居る、则ち人をおそるゝが故なり。我またかくのごとし。身を知り世を知れらば、愿はずまじらはず、たゞしづかなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。すべて世の人の、すみかを作るならひ、かならずしも身のためにはせず。或は妻子眷属のために作り、或は亲昵朋友のために作る。或は主君、师匠および财寳、马牛のためにさへこれをつくる。我今、身のためにむすべり、人のために作らず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこもなし。たとひ广く作れりとも、谁をかやどし、谁をかすゑむ。』それ人の友たるものは富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。かならずしも情あると、すぐなるとをば爱せず、たゞ丝竹花月を友とせむにはしかじ。人のやつこたるものは赏罚のはなはだしきを顾み、恩の厚きを重くす。更にはごくみあはれぶといへども、やすく闲なるをばねがはず、たゞ我が身を奴婢とするにはしかず。もしなすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべきことあれば、みづから歩む。

 

くるしといへども、马鞍牛车と心をなやますにはしか(二字似イ)ず。今ひと身をわかちて。二つの用をなす。手のやつこ、足ののり物、よくわが心にかなへり。心また身のくるしみを知れゝば、くるしむ时はやすめつ、まめなる时はつかふ。つかふとてもたびたび过さず、ものうしとても心をうごかすことなし。いかにいはむや、常にありき、常に働(动イ)くは、これ养生なるべし。なんぞいたづらにやすみ居らむ。人を苦しめ人を恼ますはまた罪业なり。いかゞ他の力をかるべき。』衣食のたぐひまたおなじ。藤のころも、麻のふすま、得るに随ひてはだへをかくし。野边のつばな、岭の木の实、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじらはざれば、姿を耻づる悔もなし。かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。すべてかやうのこと、乐しく富める人に对していふにはあらず、たゞわが身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるばかりなり。大かた世をのがれ、身を舍てしより、うらみもなくおそれもなし。命は天运にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮云になずらへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。』それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛马七珍もよしなく、宫殿楼阁も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを爱す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る时は、他の俗尘に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、鱼と鸟との分野を见よ。鱼は水に饱かず、鱼にあらざればその心をいかでか知らむ。鸟は林をねがふ、鸟にあらざればその心をしらず。闲居の气味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。』そもそも一期の月影かたぶきて馀算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ时、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ给ふおもむきは、ことにふれて执心なかれとなり。今草の庵を爱するもとがとす、闲寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら时を过さむ。』しづかなる晓、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に问ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりにしめり。すみかは则ち净名居士のあとをけがせりといへども、たもつ所はわづかに周梨盘特が行にだも及ばず。もしこれ贫贱の报のみづからなやますか、はた亦妄心のいたりてくるはせるか、その时こゝろ更に答ふることなし。たゝかたはらに舌根をやとひて不请の念佛、两三返を申してやみぬ。时に建暦の二とせ、弥生の晦日比、桑门莲胤、外山の庵にしてこれをしるす。

「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。

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巴图隆阿巴图鲁 (Roma, Italy)

诗人、画家 老北京北城出生,南城长大,家世殷富,少有捷才。少为纨绔子...

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