高田敏子
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【成人式に於いて】
ぶつかってこそ
本日は成人式おめでとうございます。
そこできょうはみなさんに思い方の楽しさ、考え方の工夫というお話をしたいと思います。私の母は、梨の実を「ナシ」とは決して言わず、「アリの実」と言っていました。「すり鉢」のことも「あたり鉢」といった具合で、母は縁起かつぎで、なんでもよい言い方をしないと気が済みませんでした。
私がうっかりお皿などを取り落として割ってしまったときも、「あなたはそそっかしい」と叱ったあと「まあしかたがない、数が増えたのだから縁起がよい」と言い直しました。
割れて破片になってしまったのを、数が増えたと言うのは少しおかしなこじつけですけれど、叱るのをやめてよいほうに言い直してくれることで、私はほっと救われる思いでした。毎日のなかのちょっとしたことにも、自分を元気づける、目覚めさせる、その思い方の工夫が大切なのではないでしょうか。
私の親しくしていただいている詩人、吉野弘さんは、<動詞 ”ぶつかる”>という詩を書かれていますが、それは、盲人の娘さんが、交換手の技術をマスターして仕事を持たれたのをテレビで見て、書かれたものです。
娘さんは毎日の通勤を一人でして、いろいろなものにぶつかりながら歩き「ぶつかるものがあると安心なのです」といわれました。娘さんは、ぶつかることによって、その一つ一つを確認しながら歩いてゆく、そのことについて吉野さんは、「ぶつかってくるすべてに自分を打ち当て、火打ち石のように爽やかに発火しながら歩いて行く彼女」と書かれています。
私たち目の見えるものは、ぶつかるものは邪魔ものとして、ぶつからないようによけて通ります。日常の生活ではそれが当然ですけれど、人生のうえでは、ぶつかることによって知ることがどんなに多いことでしょう。
じつはきのう、私の娘、クツのデザイナーをしている二女が、自分の仕事を一歩前進させて、お店を持とうと思うがどうかしら、と相談に来ました。それが成功するか、失敗に終るかどうか私にもわかりません。
私は吉野さんの詩を思い出して「ぶつかってみなければわからないわね」といいました。
ぶつかりながら知ってゆく、痛い思いをしながら学んでゆく、それがほんとうの意味で”する”ということなのでしょう。
毎日を生きてゆくうえでは、いろいろなことにぶつかってゆくわけですけれど、悲しいこと、苦しいことにぶつかったときも、それを不幸とばかり思うのではなく「これで一つ知ったのね」という思い方を持つことが、必要なのではないでしょうか。
「ここ一番役立つ有名人?名スピーチ集」 より
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